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2007年7月の13件の記事

2007年7月28日 (土)

釧路湿原3割縮小 過去60年開発の土砂堆積

ここでも開発による在来生物への悪影響が問題になっているわけですが、


釧路湿原、60年間で3割縮小 開発の土砂堆積

2007年07月28日12時27分

 日本最大の湿原である北海道東部の釧路湿原が、過去60年で3割縮小していることがわかった。87年の国立公園指定で保護管理が強化されたが、この10年でも1割縮小し、湿地の乾燥化が加速している。国立公園の外側での農地開発などにより、流出した土砂が河川を伝って湿原内に流れ込んでいることが原因とみられるが、抜本的な対策は見つかっていない。

 釧路市北部に広がる釧路湿原はタンチョウなど希少な野鳥や野生生物の生息に重要な湿原として80年にラムサール条約湿地に登録され、87年7月に国立公園に指定された。

Kushiro01 国土交通省によると、戦後の47年の調査では、釧路湿原全体の面積は約2万5000ヘクタールあったが、周辺の農地や宅地の開発で出た土砂が、毛細血管のように湿原を流れる河川を伝って堆積(たいせき)。乾燥化が進んで、04年には約1万8000ヘクタールまで縮小した。これと反比例するように、乾燥化の指標とされるハンノキ林が2000ヘクタールから8000ヘクタールに拡大した。

湿地再生のため釧路川の再蛇行化事業が進む釧路湿原=北海道標茶町で、本社機から

 ラムサール湿地や国立公園になってからも湿原上流部では酪農地の開発が進み、河畔林の伐採などによっていまも土砂の河川流出が続いている。釧路市の担当者は「湿原はスポンジのように栄養を吸収するが、土砂流入で目詰まりを起こすと表面だけが富栄養化し、ハンノキが著しく成長する」という。

 ハンノキが湿原に根を張れば周辺の保湿性が奪われ、乾燥化がさらに進む。湿地が減れば、生息するキタサンショウウオなどの希少生物や、湿原を繁殖場所としているタンチョウがすみかを失っていくことにもなる。

Kushiro02 国交省は現在、主流河川、釧路川周辺の湿地回復を図るため、一度直線化した釧路川を再び蛇行させる事業に取り組んでいる。だが、NPO法人トラストサルン釧路の杉沢拓男事務局長(61)は「上流部の対策を取らねば、湿原破壊はますます進む」と指摘している。

釧路湿原の植生の移り変わり

http://www.asahi.com/national/update/0728/TKY200707280186.html
2007年7月28日 朝日新聞 夕刊掲載

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2007年7月27日 (金)

ナイト・レンジャーとMotoGPの関係

日テレG+ (ジータス)が国内放送しているMotoGPのテーマソング、ナイト・レンジャーの"Sing Me Away"

番組の冒頭とエンディングで流れるこの曲、番組を見ながら聴いているとグランプリのイメージになかなかマッチしていて心地よくも聴こえてくるのですが、それってちょっと不思議な感覚。

というのも1stアルバム A-2に収録されているこの曲は、Night Rangerのデビューをリアルタイムに見聞きした世代としては、当時最も「らしくない」1曲として聴く度に違和感を感じていた曲だったので。

 Night Rangerのデビュー曲は、コレ↓

 "Don't Tell Me You Love Me" - YouTube

このプロモーションビデオを初めて観た時の衝撃はすごいものがありました。

ナイトレンジャーがデビューする1年くらい前にバンドのギタリストのひとり、ブラッドギルスがオジーオズボーンの一員として来日し、その時のインタビューで新バンドのことを語っていたこともあり、VJが曲を紹介した瞬間、「あのバンドだ!」ということはわかったのですが、その期待を裏切らない出来だったものだからそれはもう堪らんものがありましたね・・・ブラッドギルスがオジーバンドへの正式加入を断ってまでこのバンドにこだわった理由がわかったというか。

で、発売と同時にアルバムを買ったわけですが、
その衝撃のデビュー曲に続く2曲目にかかったのが、問題の"Sing Me Away"。

はっきり言って

「軟弱!( ゚Д゚)」

としか思えない曲だった。

それから20年ほどの時が過ぎて久々に耳にしたこの曲。
きっと同じ時代に同じ曲を聴いた同じ世代の人がこれを番組のテーマ曲に選んだのだろう。これはこれで有りだなと思ってしまった。

しかし、当時何故に「軟弱!( ゚Д゚)」と感じたのかは、アルバムを通して聴いていただければ、きっとお分かりいただけるはず。

Dawn Patrol Music Dawn Patrol

アーティスト:Night Ranger
販売元:MCA
発売日:1990/10/25
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2007年7月25日 (水)

地元勢全滅の MotoGP #11 アメリカ

今週月曜の朝(5:30〜)の生中継を見た後、寝不足状態のまま出勤。
そして3日間が経過。レース結果のせいもあり、ブログ更新するのをすっかり忘れてました・・・

ウォームアップ走行の1シーンロッシは力の限り目一杯で走るも4位、年間ランキングトップのケーシー・ストーナーがポール トゥ ウィンを決め、今季6勝目で、そのポイント差を44に広げられる結果となってしまった。

気の毒なのは、昨年のタイトルホルダー、ニッキー・ヘイデン。

ようやくホンダRC212Vがトップ争いの出来る状態に仕上がったと思ったら、アメリカ人同胞ジョン・ホプキンスに追突され、母国グランプリをリタイア=ノーポイントという結果。

地元勢最高位は、何とカワサキからスポット参戦したロジャー・リー・ヘイデン(ニッキーの弟!)の10位、GPレギュラーメンバーではコーリン・エドワーズの11位というかなり寂しい結果となってしまった。

次戦チェコまでおよそ1ヶ月のインターバル。
さてさて、その間に何か動きがあることを期待するとしましょう。

アメリカGP決勝リザルト - motogp.com

アメリカGP最終予選結果 - motogp.com

話は変わって来シーズンのチーム体制のお話。

今年は何だかずいぶん早いように思いますが、来年のライダー移籍を正式発表するチームがちらほら出てきました。

 ジョン・ホプキンス  SUZUKIワークス >>> KAWASAKIワークス
 マルコ・メランドリ  HONDAサテライト >>> DUCATI ワークス
 ホルヘ・ロレンツォ  APRILIA 250cc >>> YAMAHAワークス(MotoGP)

ロレンツォの最高峰クラスステップアップ&ヤマハワークス入りは、決まるべくして決まったという感じではありますが、ヤマハワークス残留が決定しているロッシとどういう共存体制になるのか気になりますね。

ろれんつぉ 250ccクラス敵無しで波に乗りまくっているロレンツォと、ヤマハ(というかMotoGPシーン全体)にとって依然として大きな存在であるバレンティーノ・ロッシ。
もしこの2人がチームメイトという形になった場合、チームの運営がスムーズに行くのかには少し疑問が残る。

別チームで純ワークス2チーム体制とか、同じチームでも実質別動の2チーム体制というのも充分有り得るんではないかと思ってます。

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2007年7月22日 (日)

外来魚=害魚論についての一考察

皇居のお濠の魚を電気ショックで... を書いたのには訳がある。

それは、ここ数年の外来魚を軸としたプロパガンダには目に余るものがあり、問題の本質を正しく捉えていないからである。

近年の環境悪化に対する取り組みと漁業経済へのダメージの責任を問われた行政当局が、自らの利益を優先させた環境開発工事などの活動を正当化し、非難の矛先を避けるために「外来魚が在来種を食う」という構図を誰の目にも分かり易い勧善懲悪の物語に仕立てて強調し、マスコミを通じて浸透させようとしているようにしか見えない。

当局がそのマスコミでの取り上げられ方を気にしていると思われる資料がある。

環境省 - 移入種関係記事数の年次推移
http://www.env.go.jp/council/13wild/y132-01/mat_02_5.pdf

これは一体なにを意図しているのだろうか?
理解に苦しむ資料である。

世間の目が外来魚に向いてくれれば良いと考えている証拠である。
それともマスコミが沢山取り上げているのだからそれは正しいこと、
これが在来種減少の根源なんですよ、とでも言いたいのか?

最近の外来魚(ブラックバス)規制の動きとして大きなものは以下の2つである。

●2002年10月
滋賀県はブラックバスなど外来魚の再放流(リリース)を禁止する県条例を可決し、2003年4月より施行した

 滋賀県 琵琶湖レジャー対策室(外来魚のリリース禁止)
 http://www.pref.shiga.jp/d/leisure/#rule3

●2005年1月
小池環境大臣の一言で、オオクチバスが特定外来魚被害防止法のリスト入りが決定し、6月に正式に法律として施行された
 http://www.env.go.jp/nature/intro/

この事については、詳しく書き出したら本が一冊書けるほどになってしまうのでここでは簡単なまとめに留めておこう。

在来種減少の原因については、外来魚の影響が全くないとは思わないが、根本的な原因ではあり得ないというのが私を含む外来種駆除規制反対派の意見である。

食害以前の問題として、河口堰や護岸工事によって遡上環境や産卵場所が失われ、さらに生活排水などによる水質悪化で魚の住む場所自体が奪われてしまっているという事実がある。

生まれ育つ環境がないのに食害も何もなかろう。
このままでは外来魚がいない環境であったとしても在来種が絶滅してしまうのは時間の問題に違いない。人為的な環境破壊のストップと、それらによって失われてしまった自然環境の回復のための取り組みをなくして回復は実現し得ないものと考えている。

また、外来魚の規制によって子供達が釣りを通じて自然や生命の尊さを学ぶ機会が奪われ、将来に犯罪に結びつくような人格形成の要因になってしまうのではないかという懸念も反対派が強く気にしている点である。(滋賀県の条例などは、事実上釣った魚はその場で殺すことを強制している)

参考になる記事があったのでここに紹介する。

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朝日新聞 2007年05月27日
アユ、多摩川にいらっしゃい
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鮎は産卵のために自分の生まれた河川を遡上する習性を持つ魚だが、その遡上の障害となっていた取水堰を解放し、遡上を促進して在来種である鮎の繁殖を促進させる取り組みが行われているという記事。さらに泳ぐ力が弱いテナガエビやモクズガニ、ハゼなども上れるようになるということも書かれている。

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朝日新聞  be on Sunday 2007年5月27日
マイワシ激減、兆しは19年前
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こちらは日本の近海でマイワシが激減しているという記事だが、その根本的な原因は、一般的に問題視されやすい乱獲によるものではなく、気候変動に伴う水温の上昇が大きな原因であることを示唆する内容になっている。

そして本日、日経新聞に掲載された記事。

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日本経済新聞 2007年7月22日
在来魚と外来魚がすみ分け・琵琶湖周辺  
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在来種と外来種では湖の中での産卵場所や成長してからの生息域が、それぞれの生態に応じた異なる場所になっており、結論付けまでは至っていないものの、環境さえ整えば共存の可能性があることが示唆されている。

記事全文をご覧になりたい方はこちらを。

 

外来魚規制のニュースを見ていると、今後日本の湖に生息している外来魚(特にブラックバス)はことごとく駆除されていく方向にあるように思えてくるが、実は大正14年にブラックバスが初めて放流された箱根の芦ノ湖をはじめ、河口湖や山中湖など、さほど規模の大きくない湖で在来種と外来種が共存している例はいくつもある。

それらの湖では、ブラックバスは魚種認定され、正式な資源として認められている。つまり地元に利益をもたらすものという理解が定着している地域では全く問題になっていないのである。これは、在来種減少の理由が外来魚以外にあるということの一つの証明ではないか。

数年前、茨城県 霞ヶ浦の地元漁師の間で「河口湖がバスフィッシングブームの盛り上がりで放流量を増やすためにブラックバスを高値で買い取っている。」という情報が広まると、それまでは網にかかると目の敵にされ、漁港の周りに捨てられ干涸びていたバスが一転して大切に扱われるようになり、漁師達はバスを狙って捕獲するようになり、結果的に霞ヶ浦ですっかりバスが釣れなくなってしまったという事もあったりした。(もちろん釣れなくなった理由は漁師による捕獲が全てではないと考えている)

また、日光 中禅寺湖でスモールマウスバスの繁殖が確認された時、地元漁協は釣り客誘致の目玉ともなっているブラントラウトの繁殖に影響が出るという理由で駆除を開始したが、ブラウントラウトは元々日本にはいなかった外来種である。獰猛なフィッシュイーターであるブラウントラウトが移入された当時、元々中禅寺湖にいた在来魚が相当影響を受けたであろうことは間違いないと思われる。(もちろんスモールマウスの放流を支持するつもりはない)

深刻に語られる一方でこのような状況があり、在来種の保護に関わる外来魚の是非なんて、じつはその程度のものだったりするのである。また、マイワシの記事にもあるように気候変化による影響だって問題のファクターとして考えられて然るべきことである。

根本的な対策をおざなりにしたまま外来魚の駆除だけで本当に在来種の再繁殖、ひいては自然環境の復元が図れると本気で考えているのなら、当局の問題解決能力は本当にお粗末なレベルであるとしか言いようがないだろう。

話は本題から外れるが、バス害魚論がここまで大きな問題となってしまったことの背景には、釣り人のマナーの悪さがある。早朝からの騒音、私有地へのクルマの乗り入れ、ゴミ捨て、漁業設備の破損などなど、実はこれが一番やっかいだ。自分が釣行する際にはこの点については十二分に注意して行動してするようにしているが、そのような事実があることは認識しているし、釣り人の一人として恥ずべきことであると思っている。

最近は諫早湾の問題が大きくニュースになることもなくなり、人々の記憶の隅に追いやられつつある。年金問題をはじめ、あまりに問題の多い日本の行政。
外来魚を隠れミノに環境破壊の問題をうやむやにしようとするのではなく、そろそろ「これまでの開発工事優先の政策は誤りでした。」と認めることも必要なんじゃないだろうか。



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魚の生育・環境に関する最近の記事3本

日本経済新聞 - NIKKEI NET 2007年7月22日
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20070722STXKG017821072007.html

在来魚と外来魚がすみ分け・琵琶湖周辺 

 琵琶湖とつながる周辺の湖「内湖」で、コイやフナなどの在来魚と、外来魚のオオクチバスやブルーギルの繁殖場所が異なり、すみ分けているとの調査結果を滋賀県琵琶湖環境科学研究センター(大津市)と近畿大が21日までにまとめた。
 湖底の状態などが影響しているとみられ、同センターは「在来魚を守る環境づくりのヒントになる」と話している。
 滋賀県近江八幡市の「西の湖」の湖岸と周辺の湿地、水路計54カ所で稚魚を調べた。外来魚と在来魚が両方生息していたのは6カ所で、ほかは一方だけだった。
  湖岸27地点では、合計で外来魚が約1370匹、在来魚が約70匹だった。湿地や水路の27地点では、在来魚が約410匹に対し、外来魚は1匹だけだっ た。湖岸は、在来魚が卵を産み付けるのに必要なヨシが水中に育っておらず、湖底は砂や小石が多く、外来魚がすり鉢状の穴を掘って卵を産むのに適している。 湿地や水路は、陸地から水中になだらかにヨシ帯が続き、硬い泥地の底が多く外来魚が産卵するのは難しいとみられ、在来魚向けの状態という。
 同センターの西野麻知子琵琶湖環境研究部門長は「今後湖周辺を工事する際には、在来魚が繁殖しやすい状態にするよう考慮すべきだ」と話している。

 同記事掲載:
 中国新聞 http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200707210295.html
 東京新聞 http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2007072101000248.html

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朝日新聞 asahi.com 2007年5月27日
http://www.asahi.com/life/update/0526/TKY200705260169.html

アユ、多摩川にいらっしゃい

 東京湾に注ぐ多摩川をアユなどが自由に上れるようにと、魚にとって最初の障壁となる調布取水堰(ぜき)が今春、大幅に開放されている。今月末までの予定で、川を管理する国土交通省と、堰を管理する東京都水道局の協力で初めて実現した。地元漁協も歓迎している。

 河口から約13キロの位置にある調布取水堰は1936年に完成した。多摩川本流の堰やダムでは最も下流にある。左岸は東京都大田区、右岸は川崎市。コンクリート製の魚道が2カ所あり、毎年、春先には跳びはねて急流を上るアユが見られる。

 「海から上りたての小さなアユはまだ力が弱く、魚道を上るのが難しい」と川崎河川漁業協同組合の総代、山崎充哲さん(48)は語る。一番下流の調布取水堰が「最大の難関」という。

 この取水堰は、工業用水と防潮が目的。今年は装置の点検で取水を中断しており、長期間、堰を開けることが可能になった。川の中ほどにある高さ1. 6メートル、幅7メートルの起伏堰5個を完全に倒し、川幅の約3分の1にあたる35メートルほどを開放。満潮で川の水位も高くなると、上流と下流の水位が そろい、生き物が自由に行き来できる。

 堰では調査員が週3日、川を上る若アユを数えている。開放が始まった4月12日からこれまで推定六十数万匹以上が上った。川崎漁協によると昨年は推定で約127万匹が上ったが、今年はそれ以上になりそうだと期待は大きい。

 ほかにも、ボラやスズキなど海と川を行き来する魚が、調布取水堰から約10キロ上った地点で見つかった。山崎さんは「泳ぐ力が弱いテナガエビやモクズガニ、ハゼなども上れるようになる」。

 多摩川上流では、アユ釣り用に他県産のアユを放流している。近年は海から上る天然アユが増えており、川を上るアユは推定で約100万匹を超す年もある。

(写真)多摩川を遡上(そじょう)するアユ。堰の開放前は跳びはねる光景が見られた=4月10日、川崎市で

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朝日新聞 be on Sunday - asahi.com 2007年5月27日
http://www.be.asahi.com/be_s/s01.html

マイワシ激減、兆しは19年前

 高知・土佐湾。いま、日本の太平洋岸のマイワシの6割以上がここで生まれている。激減したマイワシの「最後の聖域」だ。

 秋から翌夏にかけ、水産総合研究センター中央水産研究所や各県の水産試験場などが船を出す。網で海水をすくい、入った卵を数えて全体量を推定する。

 同研究所高知黒潮研究拠点の石田実・主任研究員がそのデータを分析した。

 豊漁の80年代。鹿児島から千葉沖のどこでも卵がとれた。推定数は年800兆~9000兆粒。土佐湾は25兆~250兆粒で、シェアは数%に過ぎなかった。

 90年代後半、卵をすくえる海域が減った。02~05年は年に33兆~93兆粒。土佐湾は6兆~60兆粒で、結果的にシェアは増えた。

 いったいマイワシに何が起きたのか。

 「あれが兆候でした」。渡邊良朗・東大海洋研究所教授(海洋資源生態学)が振り返るのは88年秋のことだ。北日本沖の太平洋に、その春に生まれたマイワシの群れがみられなかった。

 太平洋沿岸で生まれた卵は、暖流の黒潮に流されながら孵化(ふか)し、房総半島の沖、黒潮に続く黒潮続流に運ばれ、ベーリング海から南下してくる寒流の親潮に向かって北上する。
 それまで年2000億~3000億匹が育って北上したが、88年はその10分の1ほど。89~91年も若い魚が見られない。それでも推定の卵数は年4000兆粒前後。90年は6700兆粒もあった。

 実は、その裏で親魚の高齢化が進んでいた。主に2歳魚から卵を産むが、「産むのが3歳を超える一方、子が少なく後が続かなかった」と中央水産研究所の西田宏・資源動態研究室長。
 乱獲の影響? 「その場合はまず親魚が減っていく」と渡邊さん。

 カツオやマグロに食べられた? サンマなど似た海域の魚も食べられるはずなのに、こちらは豊漁だ。

 安田一郎・東大海洋研究所教授(水産海洋学)は「黒潮続流の水温の影響ではないか」と考えている。

 孵化した魚がその年にどれくらい死んだか(死亡係数)を、海域の1~4月の水温偏差と重ねると、ほぼ一致した。88年は前年より1度ほど上がっていた。21世紀も高温傾向が続く。

 土佐湾も事情は同じはずだが、一本釣りの伝統から、まき網漁が認められていないことで、マイワシが産卵しやすい場所になっているようだ。

 その土佐湾で、1歳魚がもう産卵している。日本海区水産研究所の森本晴之・生物生産研究室長が高知にいた94年に報告した。

 数が減り1匹分のエサが増えたためなどとみられるが、早く仲間を、という自然の仕組みかも知れない。

気候変動で水温上がる

 「朝、イワシ船団の漁が終わると、きんちゃく網漁船が汽笛を鳴らし、船足も重く湾内に入ってくる」

 20世紀の初め、マイワシ漁で栄えたカリフォルニア州のモントレーを、米国の文豪ジョン・スタインベックは「キャナリー・ロウ」(井上謙治訳、大阪教育図書「スタインベック全集」から)で描いた。

 水揚げされた豊富なマイワシは、どんどん缶詰めにされた。だが、やがて漁獲量が減り、第2次世界大戦のころから漁業は廃れていった——。

 マイワシの仲間は世界に6種類知られている。いずれも好不漁の波を繰り返している。日本など東アジア沖のマイワシ、北米カリフォルニア沖のマイワシ、さらには南米チリ・ペルー沖のマイワシは、ほぼ同時期に増減を繰り返してきた。

海挟み同現象

 モントレーの缶詰工場が最盛期だったころ、太平洋の対岸の日本でも、マイワシの大漁に沸いた。

 太平洋という広い海を挟んだ両側。さらに北米と南米で、どうして同時期にマイワシの資源変動が生じるのだろうか。

 「アリューシャン低気圧の変動と関係していると推定される」と安田一郎・東大海洋研究所教授はいう。この低気圧は、北太平洋全域の気候や海洋環境に影響を与えることが、20世紀のデータから明らかになっている。

 ふつうアリューシャン低気圧が強い冬、日本付近は冷たい北西の季節風が強まり、海が冷却される。北米西岸では、暖かい南西からの風が強まって気温が上昇し、海が暖められる。

 太平洋の東西で、アリューシャン低気圧に連動した気候・海洋変動が起き、それがマイワシの増減の周期を合わせる、というのだ。

 「レジームシフト(構造的枠組みの転換)」と呼ばれる考えで、将来の資源変動を予測するのに有効なのではないか、と研究が進められている。

 日本周辺では88年に低水温から高水温へのレジームシフトが起きた、とみられるという。低水温を好むマイワシが減少する一方で、90年ごろから高水温を好むカタクチイワシが増えてきたのがよく説明できる。

 一方で、安田さんは「日本ではマイワシは水温が低いときに増え、カリフォルニアでは暖かいときに増えてきた。それがなぜなのか、まだ分からないことが多い」と話す。

 安田さんは最近、千葉・房総半島沖から日付変更線辺りにかけての黒潮続流域に注目している。

 この海域の水温などの変化が、アリューシャン低気圧や、冷たい気圧の張り出しなどにかかわる北極振動よりも、数年早く生じることを見いだした。

 まだ研究が必要だが、ここでの熱の放出が大気に影響を与えている可能性があるというのだ。

禁魚して増加

 自然変動なら、いずれ増える時が来るに違いない、という見方もできる。日本のマイワシ漁獲量は今、数万トンだが、80年代には400万トンを超えていた。

 もっとも、資源を増やすため、人ができることもあるようだ。
 渡邊良朗・東大海洋研教授によると、東アジア沖のマイワシの増減と歩みを合わせてきたカリフォルニア沖が最近、少し異なってきたという。

 カリフォルニア州は70年代から80年代にかけて、マイワシ漁を原則禁止するなど規制した。そのおかげもあって、90年代から、順調に増えてきたそうだ。

最近のシラスはカタクチ

 マイワシはニシン目ニシン科の魚。卵は直径1.5ミリほど。クロマグロは約1ミリなので、それよりも大きい。生まれて数日で孵化(ふか)し、1~2カ月で2~3センチに成長。1年で15センチ前後に育つ。寿命は7~10年とされている。

 カタクチイワシは同じニシン目だが、カタクチイワシ科に属する。大きさも10センチ程度と、マイワシより小さい。適する水温が6度ほど違うとされ、いまの「高温状態」はカタクチイワシに向いているようだ。

 シラスを食べるとマイワシ資源に打撃では、と心配する向きもあるが、実は近年のシラスはほとんどがカタクチイワシだ。ほかにわずかながらウルメイワシもある。
(文・小西宏、写真・西畑志朗)

(写真)1万5000匹のマイワシとカタクチイワシがなす群れは壮観だ。身近な魚の「自然な姿」は人気だという=大阪市の海遊館で

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2007年7月21日 (土)

Frankenstein 発売!そして売り切れ

Evh_frankenstein_w300 FenderのEVHフランケンシュタインレプリカが今月の初め発売された模様。

国内へのデリバリーは5本程度だったとか。

ネットショップに掲載している所もありますが、ここここも瞬時にソールドアウト。

国内価格は、350万円だったらしい。

やっぱり、買う人は買っちゃうのね。

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2007年7月18日 (水)

DUCATI 本社工場&博物館

さて、本日最後の目的地ドゥカティの工場に到着です。

Ducati_01
ドゥカティのファクトリーは、ボローニャ駅から車で10分ほどの比較的街に近い場所にあります。

Ducati_02
道路から見える社屋の外壁には巨大なカピロッシのパネル

Ducati_03
地元、というかイタリアの有名企業でもあるドゥカティは、一般の工場見学も積極的に受け入れているそうで、この日はグランプリウィークということもあり、待合室には沢山のファンが訪れていました。写真はガイドの言語でグループ分けをしているところです。(分け方は結構アバウト)

Ducati_04

グループ毎にメーカーのガイドさんに引率され、工場エリアに入ります。
残念ながらドゥカティ社も工場内は撮影禁止でした。

生産ラインでは、こちらもまたかなり家内工業的な雰囲気で作業が進められていました。ストックヤードから必要な部品を取り出してカゴに入れて持ってきてアッセンブルのラインで組み付ける、通称「スーパーマーケット方式」だそうですが、それって果たして効率的なん??? 

いや、ここはイタリア・・・

日本の常識で物事考えるべきじゃない・・・きっとそれがMotoGPでも常勝になりつつあるパワーを生み出す源なんでしょう。。。しかし、ここ10年程の間に日本流の"KAIZEN"メソッドを取り入れ、大幅な生産性向上とクォリティアップを図っているとのこと。
おそるべしトヨタパワー。イタリアンバイク業界まで影響を及ぼしているとは。

工場スタッフには女性も多く、完成車のベンチテストを担当しているのも女性。モンスターにまたがり、160km/hの走行シミュレーションを行ったりしていました。

ちなみに、イタリア人がDUCATI に対して持っているイメージは、「速くて高性能、そして安い」だそう。日本人の抱く「高級車」のイメージはみじんも感じないそうで・・・それって日本人がホンダに感じる印象と似ているような気がする。ま、ベンツのタクシーが沢山走ってる国ですから所詮国産車という感覚なんでしょう。

写真に撮れなかったのが残念ですが、ユニークなトラス構造フレームがずらっと並んでいる様は、これまた非日常的な光景で壮観でありました。


工場見学が終わり、併設のドゥカティ・ミュージアムに進みます。
ミュージアムには時系列にドゥカティ製品が展示されており、まずはこれ。

Ducati_05
CUCCIORO(クッチョロ=子犬)という名の1946年に発売された小型エンジン。

Ducati_06
これは自転車に取り付ける補助原動機なのでした。
この時すでに4サイクルだったというのが何ともドカらしい。
現在に至るまでドカがドカたらんとしている所以かもしれません。

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当時の広告ポスター。
今でもこの子犬くんはドゥカティのマスコットになっており、ミュージアムショップでぬいぐるみなども売っています。

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50年代の最高速競技用のオートバイ。
サイドカウル(?)のカバーがパカッと開くようになっており、停車中はそこから足が出してバイクを支えられるようになっています。

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伝説のライダー マイク・ヘイルウッドのマン島TTでの勇姿

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そしてその1978年のチャンピオンマシン実物も展示されています。

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カウルの内側にはヘイルウッドがヘルメットのシールド拭きに使っていたという、カットしたテニスボールが当時のままに。

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80年代以降の歴代スーパーバイク達。

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この頃のスーパーバイクって日本ではほとんど情報がなかったため、正直よくわからんです・・・誰が乗っていたどんなマシンなのか不明・・・

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で、一気に現代までジャンプ。
言わずと知れたMotoGPマシン  デスモセディチGP6。
2006年のイタリアGPスペシャルカラーも展示。

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これは、スーパーバイク選手権のトロフィー?
かなりオスカーを意識している様子。


さて、ここまで来ると朝から超弩級の名車を見続けてきたこともあり、さすがに息切れ気味。

最後にご紹介するのは、ドゥカティ社の成り立ちを解説するコーナーに展示されていた興味深いもの。

Ducati_18

ドゥカティ社は創業時からオートバイを作っていたわけではなく、最初はラジオを作ることからスタートした会社だったそうなんです。ラジオの他にもシェーバーなんかも作っていたらしい。

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DUCATIのカメラ!

Ducati_20

まさにラジオです。

ちなみにDUCATIをイタリア語で発音すると「ドゥカーティ」というのが一番近いらしい。ドカティーとかドカッティって言うのはあんまり通じないみたいです。
(「ドカ」ではないのだ)
余談になりますが、ランボルギーニの「カウンタック」も現地では「クンタッシ」。

ということで、ランボルギーニフェラーリそしてドゥカティを1日で回るという充実のツアーもいよいよ終わり。
ドゥカティの工場を後にし、ボローニャ駅まで車で移動し解散となりました。

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Dear Francesco-san and Tomoko-san

Thank you very much for beautiful trip and hospitality. We were really satisfied with seeing legendry Italian factories, so my dreams come true. We wish we can visit to Bologna again someday!

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フィレンツェに帰る電車まで時間があったので、日本人ガイドKさんおすすめのレストランで本場のスパゲッティ・ボロネーゼを堪能。
スパゲティと言えばミートソース というくらい好きなので密かに感動。


最後に。

ここボローニャ駅の待合室の壁面に写真のようなレリーフがあります。
1980年の8月、ここボローニャ駅の待合室で爆弾テロがあり85人が亡くなったそう。その中の一人には日本人の学生さんも含まれていたそうです。

このレリ−フはその日の出来事を風化させないようにという思いを込め建てられたものだそう。イタリアでもこんな事件があったとは・・・

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2007年7月16日 (月)

フェラーリ モデナ本社&ギャラリー

さて、ランボルギーニミュージアム&工場見学に引き続いてはフェラーリ見学です。

ランボルギーニ本社からフェラーリ本社のあるモデナ・マラネロ市までは車で30分くらい。道中あいにくの雨が降り始め、マラネロに到着した時にはかなりの本降りになってしまいました。

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まずは、フェラーリ本社に隣接するテストコース フィオラノから。

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何カ所か周辺からコースをのぞける場所があります。
運が良いとF1マシンのテスト走行が見ることができるそうです。
残念ながらこの日は何も走っておらず。

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フェラーリ本社前のFerrari Store。

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フェラーリ本社工場入り口。

ちょうど昼時で従業員の人々が出入りしていたのですが、技術部門のスタッフはみんな例の赤ツナギ! 一瞬街中がフェラーリのピットのようになるという非日常的な光景もありました。

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クルマで本社の周りをぐるっと回りましたが、フェラーリの工場はかなり大規模。従業員も1800名いるそうで、ランボルギーニとは比較にならない大企業という感じです。

イタリア国旗の向こうに見えるのは風洞実験施設。
市販車はもちろんF1マシンの風洞実験もここで行われているそうです。これほど大規模な施設を持つのは世界でもフェラーリくらいのものだそう。

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ガイドさんが何も無い所で車を止め、「ちょっとここで待っててごらん。」

しばらくすると、ご覧の通り。
完成車のテストドライブコースだそうで、タイミング良くテストに遭遇。
知らない人には絶対わからない場所ですな、ここは。

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マラネロ市から寄贈されたというプランシングホースの像。
何だか猛烈に筋肉質です。

フェラーリは工場見学はフェラーリオーナーのみに限られているそうで、本社と工場は、車で外から様子をうかがうのみで終了。

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雨がかなり降っていて外観写真が撮れなかったのですが、ガレリア(ギャラリー)・フェラーリに入場しました。案内スタッフやカフェなど設備も充実しています。

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まずは、ガレリア内のフェラーリ・カフェでランチをいただきました。
メニューは生ハムやサラミのサンドイッチなど、バールに近い雰囲気。

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これぞ真のコレクターズアイテム、フェラーリシュガーです。
ササッと数袋バッグに納めると、ガイドのフランチェスコさんに、

「日本人は必ずそうするね。ハハッ。」とか言われてしまった・・・

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ニキ・ラウダ車

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アラン・プロスト車

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ミヒャエル・シューマッハ車

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エンツォ・フェラーリのオフィスも再現されている。

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館内には50年代から現代まで歴代のマシンが展示。
個人的には、70年代のモデルをオリジナルの状態でもっと見たかった。
デイトナとか308GTBとかね。

ここでガイドさんに聞いた話をひとつ。

ご覧の通りフェラーリのボディカラーは赤が非常に多いですが、これは昔レースのレギュレーションで国によってボディカラーが決められていた時代があったそうで、その時のイタリアのカラーが赤だったため、その名残で伝統的に今でも赤が多く使われているのだそう。

もう一方のイタリアンカーの雄、ランボルギーニはあまり赤のイメージが強くありませんが、これはフェラーリは元々レース活動のために設立された会社、ランボルギーニはあくまで市販車のための会社(後年レース活動も行うことになりますが)、という生い立ちの違いを反映していると思われます。


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ミュージアム見学を終える頃には、雨も上がり汗ばむ陽気に。
テスタロッサの車内からフェラーリ本社を臨む。

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ここで今回のスーパーカーファクトリーツアーを主催している会社のご紹介。

Moter Stars Factory Private Tours - www.motorstars.it

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今回旅行の計画を立てるにあたり。「遥々イタリアまでMotoGP観戦に行くなら、今回の旅のコンセプトはバイク&クルマで!」という安直な思いつきにより、以前に雑誌で見て以来、いつか是非行ってみたいと思っていたランボルギーニ・ミュージアムの訪問を企てました。

最初Google Earthでボローニャ周辺の地理や会社の所在地を調べ自力で行く方法を探してみたものの、これはちょっと無理かと断念しかけてていたところに、この現地のツアー会社を発見。主要ファクトリーを一日で全部回ることができてしまうなんて何と素晴らしい・・・これは旅行者にとっては何にも代えがたい魅力。

日本語のページもあり、ツアー内容や予約の確認も日本語メールでOK。
現地に行ってからも、とってもフレンドリーなツアーガイドのフランチェスコさん(元フェラーリ社のレース部門勤務!)、日本語ガイドのKさんともども大変お世話になりました。ツアー車もとても清潔に保たれており海外現地ツアーにありがちな怪しげな雰囲気もなく安心して参加することができましたし、自力で行ったらここまで楽しむことはできなかったと思います。

イタリア観光でボローニャに行く人は少ないと思われますが、フィレンツェからわずか1時間ですから、わざわざ足を伸ばす価値は充分にあります。

さて、それでは最後の目的地、ドゥカティの工場見学に向かいます

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波乱のドライレース MotoGP #10 ドイツ

それにしても、ロッシらしくない展開だった・・・

Ger_rossi スタートで出遅れたロッシが6周目にフロントからスリップダウンして転倒。

ストーナーを含む先頭集団に離されまいと、抜き焦った感じでカワサキのランディ・ド・ピュニエをインから突いた直後の出来事でした。

結果的には、ストーナーがタイヤトラブル(多分)でじりじりと後退してしまったので、じっくり抜きにかかっていってもストーナーより上位でゴールできていたかも。今さらそれ言っても仕方ないのは分かってるんですが。

ま、これがレースというものなんでしょう。

さてさて、今回ホンダ勢絶好調でペドロサは優勝、ヘイデンも3位表彰台獲得。
次戦アメリカGPに向けてヘイデンも準備万端、気合いは入りまくりというところか。今年もきっとまた来るとみた。

ドイツGP決勝リザルト - motogp.com 

ドイツGP最終予選結果 - motogp.com

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2007年7月15日 (日)

ランボルギーニ ミュージアム Part2

引き続きランボルギーニ博物館2階フロアのレポートです。
(1階のレポートはこちら

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1階に比べ2階は、展示台数も少なく広々とした印象です。
そしてフロアの一番奥で目を引くのは、壁面に張り付けられたオレンジ色のディアブロ。

そして!その手前にグリーンのカウンタック!!

これこれ。。。今回ボローニャまで来たのはこのクルマを見に来たと言っても過言ではないくらい。1階の写真展示にもあった、カウンタック市販前の1972年に製作されたLP500プロトタイプ1号車 そのものです。しばし、カウンタックLP500ギャラリーをお楽しみください。

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美しすぎ・・・カウンタックは何度かのマイナーチェンジを経て1990年まで生産が続けられるわけですが、モデルチェンジの度にゴテゴテとした装飾が増えて行った感じで、やはりこの最初期型(LP500/LP400)のシンプルなラインが最もカウンタックらしいと言えるものでしょう。

Lambo_2f13こちらは、1975年の車雑誌(新車アルバム)に掲載されていた、当時の日本総代理店シーサイドモーターの広告。まさにこのクルマです。

ちなみに同誌に掲載されている価格表によると、当時のカウンタックの価格は、1650万円以上 とのこと。




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カウンタックの後ろ、フロアの隅にひっそりと置かれているディアブロの12気筒エンジン。はりつけの刑にされている猛牛さんから取り出されたもののようです。

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再びミウラです。
こちらはマツ毛のあるP400S。

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エスパーダ。実車を見るのは初めてでした。
ブーム当時は4シーターでヘッドライトがリトラクタブルではないなど、イマイチスーパーカーのイメージが薄かったモデル。

さて、ここでちょっと休憩・・・

ランボルギーニといえばスーパーカー。
のはずなんですが、深夜のテレビショッピングとかで「ランボルギーニ・ウォッチ」なる怪しげな腕時計を見ること、ありますよね。

Tonino_lamborghini_watch

←こんなの。
 (博物館の展示品ではありません、念のため)

これっててっきりLamborghiniの名を借りたライセンス時計なのかと思っていましたが、現地でガイドさんに聞いた話によると、フェルッチオ・ランボルギーニの息子 トニーノが自身のビジネスとして展開している本家ランボルギーニ直系のプロダクトなんだそう。よく見るとたしかにケースバックに"Tonino Lamborghini"の刻印がありますね。

時計マニアからみた時計としての評価は...ノーコメントにしておきましょう。

イタリアでの評価も「父親と違ってビジネスセンス無し」だそうで・・・あえてファイティングブルのエンブレム使ってるのも裏目に出てますね完全に。

Lamborghini_wine ちなみに「ランボルギーニ・ワイン」というのもありまして、こちらは自動車会社経営を引退したフェルッチオが趣味で始めたワイン造りを現在は娘であるパトリツィアが引き継いでいるものだそう。

こちらもファイティングブル付きですが、ワインの方はなかなか評価が高いそうでコンクールで受賞経験などもあるらしい。
お土産にと後で探してみましたが残念ながら発見できず。


さてさて、ミュージアム見学に戻りましょう。

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レース仕様のディアブロGTR

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コレ何だかわかりません!!
(ご存知の方ご一報を)

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F1マシンの展示もあります。
ラルース・ランボルギーニチームで鈴木亜久里も乗っていたマシンですね。

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ランボルギーニは、パワーボートの製作でも有名で、ここサンタアガタのファクトリーでエンジン製作が行われているそうです。

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こちらはそのパワーボートをモチーフに製作されたガヤルドのスペシャルモデル。

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カウンタックのクレイモデルがさりげなく展示されていたりします。

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カウンタックのフレームです。

ご覧の通りミュージアムと言っても凝った装飾などがあるわけでもなく、非常にこじんまりとした印象です。しかしそれもフェラーリと比べて今ひとつアカ抜けないランボルギーニの無骨な印象ともマッチして好ましい雰囲気でした。それにしても往年の名車をこれだけ間近にじっくりと見ることができるのは感動です。

ただ、車のレイアウトが窓をバックに置いてあるため逆光になってしまう所が多く、写真が非常に撮りにくい。スペース的にはかなり余裕があるし、クルマの配置もその時々でこまめに変更されているようなのでその辺り配慮してくれると嬉しい。

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そして、ミュージアム見学の後はランボルギーニファクトリー見学に進むのでした。残念ながら工場内は写真撮影禁止のため、工場は外観写真のみ。

工場見学をするには予約が必要です。と、言っても誰でも予約が取れるというわけではないようで、当日もツアーバスの団体さんは、工場入り口周辺まででストップしていました。

工場内にはムルシエラゴとガヤルド 2つのラインがあり、ベルトコンベア方式で流れる車体に各プロセス専門の職人さん達の手によって部品が組み付けられていました。

ランボルギーニは完全受注生産だそうで、1台毎にオーダー仕様を記載したブックレットが用意され、ラインのスタッフはそれに従って車を組み上げていくのだそう。

これはおよそ近代的な自動車生産からかけ離れたもので、ほとんど家内制手工業の世界と言ってよいかもしれません。エンジン、車体はもちろんレザー張りのシートや内装の製作も工場内に専門のセクションがあり、レザー職人さんたちが作業にあたっておりました。ちなみに1台のランボルギーニを生産するのに牛5頭分の皮革が使われるそうで、あらゆる部分でコストがかかっているというのにも納得。

ラインオフした車体のストックスペースには、視界一面にピカピカのムルシエラゴとガヤルドが並ぶという、これまた目眩のするような光景が。
ミニカーじゃないんですから。。。写真をお見せできないのが残念。

このファクトリーの様子の一部は、JLOC (日本ランボルギーニオーナーズクラブ)のHPで見ることができます。

以上、ランボルギーニ本社工場&ミュージアム見学レポートでした。
この後は次の目的地、モデナのフェラーリ本社に向かいます


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2007年7月14日 (土)

ランボルギーニ ミュージアム Part1

ムジェロでのMotoGP観戦の前日にフィレンツェから少し足を伸ばしてボローニャにあるスーパーカー(バイク)ファクトリーツアーに言ってきました。

レポート第1弾は、ランボルギーニ博物館(Museo Lamborghini)です。

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イタリアのほぼ中央に位置する都市フィレンツェから、ボローニャには特急ユーロスターでちょうど1時間。列車は近代的な設備で快適に過ごせます。一等客席には、コーヒーの無料サービスもあったりします。

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ボローニャ駅に到着です。

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ボローニャの駅舎。
こじんまりとした地方の駅という感じ。

朝の時間だったこともあり、学生さん達(イタリア一の歴史を持つボローニャ大学がある)が大勢歩いていました。

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集合時間まで少し時間があったので駅の回りを散策。
遺跡でしょうか?

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予定通りの時間に、駅前でツアードライバーさんとガイドさんと合流し、いよいよ出発。少し走ると風景はご覧のとおりの田園風景。
何かこれってスーパーカーブームの頃に雑誌で見たボローニャの景色そのままという感じで早くも感動。

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30〜40分ほど走るとサンタアガタ市のランボルギーニ本社に到着。

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こちらがランボルギーニ ミュージアムのエントランス。

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建物に入ってまず出迎えてくれたのは、60年代の名車ミウラSVのリアビューです。

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何も言う事なし・・・感無量。。

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ザ・ラスト・カウンタック
1990年にラインオフしたカウンタック最後の1台。

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こちらは、少し新しめのモデル ディアブロ。
カウンタックの面影を色濃く残す90年代の名車。

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ミュージアム1階には、ヴィンテージ・ランボルギーにを中心に展示。
ランボルギーニの市販車第1号350GT。生産台数は135台。

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ハラマです。
これはちょっとマイナーな車種ですね。スーパーカーブームの頃にはほとんど紹介されることはなかったと思いますが、77年の晴海外車ショーで初めて見たランボルギーニの実車でした。「こんなランボルギーニもあるのか!」といたく感激した思い出深い1台であります。

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スモール ランボルギーニの初代モデル、ウラッコ。
この車はブームの時にかなり取り上げられる機会も多く、当時の販売価格が700~800万円で、「これだったら、将来自分にも買えるんじゃないか?!」と希望を与えてくれた1台です。
当時、経営難に陥り売り上げを稼ぐために購入しやすい価格のランボルギーニとして発売されたというこのウラッコでしたが、生産台数は4タイプ合わせてもわずか795台。

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ジャルパ!
ウラッコ~シルエットの後継車種として発売されたこの車種は、スーパーカーブームも終わりの頃に出てきた記憶があります。生産台数は420台です。

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エントランス入り口近くに置かれたひときわ目を引く1台。
こちらは、昨年のデトロイトショーで発表された、ミウラのコンセプトモデルです。実物は確かにモックに近い状態のものでしたが、やはりこのデザインは永遠です・・・このままでの市販化も十分に可能性ありそうな感じ。

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ミュージアム1階フロア奥の壁面には、往年のランボルギーニ車の歴史的な写真を展示。これは前出の1990年カウンタックラインオフの正にその瞬間。

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こちらは、1972年に創られたカウンタック市販化前のプロトタイプ1号車。
こちらについては後ほどじっくりと。

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イオタです。
実車は1970年代に事故で焼失してしまっているので、当然ながら見ることはできません。

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以上、ムゼオ・ランボルギーニ1階フロアのレポートでした。
いやー、ここまでで既に軽い倒錯状態だったりします。

それでは続いて2階フロアに行ってみることにしましょう


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2007年7月 5日 (木)

5150III by Fender &オフィシャルサイト更新

きたきた。

Fenderevh5150iii_w200 フェンダーEVHサイトでエディのニューアンプ 5150 IIIの詳細情報が公開
今度は3チャンネル仕様。

そしてVan Halen オフィシャルサイトもエディのサンクスメッセージに差し替わって、Newsletter登録のインフォメーションに!

これは、確実に何か起こるな...

2004年の時も、何年も音沙汰のなかった公式サイトのメルマガ登録に突然「このメールアドレスが有効かどうかの確認です。今後もVan Halenに関する情報を受け取りたい場合は、確認の手続きをとってください。」というメールが舞い込み、その後ほどなくして再結成ツアーの案内が届いたし。

BigVが旧ロゴなのは、やはりデイブの復帰をイメージしてのものなんだろうか・・・?

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2007年7月 1日 (日)

YH復調 MotoGP #9 オランダ

Ned_motogp1 キター! という感じでした。

ウェットコンディションの前日の予選で11位と低迷したロッシが、決勝ではトップを走るストーナーに追いつき、追い越し、最終的には1.9秒までリードを広げてチェッカー。

今シーズンは全く良いところの無かったホンダもようやくマシン改善の結果が出たようで、新型に乗るレプソルホンダのニッキー・ヘイデンが3位、ダニ・ペドロサが4位。

Ned_motogp2 今回のロッシの優勝は、ミシュランタイヤのパフォーマンスによるところが大きかったように思いますが、ちょうどシーズン折り返しの中盤戦での3勝目でストーナーとのポイント差は21、そしてホンダがWGP史上初の異例の事態ともいえる低迷から復調してきたことで、ドカティ独走にストップをかけられる状況が見えてきた。

今回ロッシとコーリン・エドワーズが乗ったマシンのカラーリングは、スポンサーであるFIATが今年発売した、新型FIAT500(チンクエチェント)のプロモーションのためのアッセン限定スペシャルカラーらしい。

フィアットヤマハのHPでは、今年の最終戦バレンシアGPで走るYZR-M1のスペシャルカラーのデザインを募集中とのこと。

オランダGP決勝リザルト- motogp.com

オランダGP最終予選結果 - motogp.com

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