カテゴリー「釣り」の8件の記事

2011年5月11日 (水)

ハンティングシャフト・ボロン 1990年代の名竿

90年代の名竿シリーズ、第2弾。

マミヤオーピーのハンティングシャフト・ボロンです。

Hbs601l01

高感度全盛の時代にあって、ボロン素材を採用するかどうかということは、各メーカー頭を悩ませていたテーマだったと思います。

ボロンをコンポジットすれば、感度は上がる。しかし重量も上がる、さらに値段も上がる。。。

ボロンコンポジットの代表モデルといえば、エバーグリーンのコンバット・スティック、そしてウエダのPro4などがありましたが、いかんせんそれらはお値段もなかなかなものでした...

そんな中でマミヤオーピーから登場したシリーズ、「ハンティングシャフト・ボロン」。定価ベース 2万円台で手に入るシリーズのバスロッド。

揃えましたよ・・・

ベイトロッド3本にスピニングロッド2本を手に入れ、毎週のように霞ヶ浦や津久井湖に繰り出していた時代。

いやぁ、いいロッドでした。

ボロンは金属(タングステンファイバーにホウ素を蒸着させたもの)なので、正に金属的なハリが感じられ、やはり感度という点では段違いのものがありましたし、固いロッドを使うことによって得られるストラクチャー周りの感触は、必ずしも釣果に結びついたわけではないものの、経験として得られるものは多かったように思います。

現在手元に残っているのは、この1本だけになってしまいました。

Hbs601l02

HBS-601L

エキストラファーストテーパーの6ft スピニングモデル。
当時大流行りの常吉リグはもちろん、ジグヘッドや1/32oz+4インチワームのテキサスリグなどで一番使い込んでいたロッドです。

ただ、このロッド。やはりブランクスが重い。
さらにグリップが短めなこともあって、かなり持ち重り感が大きかったのです。

Hbs601l03

そこで試したのが富士工業のニューコンセプトバランサー。
現在は、エコノミーウェイトバランサーキャップ(EWBC)として販売されているものです。

ハンティングシャフトシリーズはバット部分がEVAで補強されていたので、その部分をちょこっと整形加工して、接着剤で固定。

いやいや、これほどまでにバランスの良いロッドになるとは。

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2011年5月 5日 (木)

アブ・ガルシア ホーネット 1990年代の名竿

90年代のバスフィッシングブームが懐かしい・・・

その時代に、我が相棒として大活躍してくれたバスロッドを紹介する。

アブ・ガルシアのホーネット。

Abu_hornet661l_01

当時は、各メーカーからまさに雨後のタケノコのごとく、ハイパフォーマンスなバスロッドが発売されていた時代だった。

しかし、それらはお値段もご立派なもので定価ベースで3万円代後半から4万円台がアタリマエ、物によっては5万円を超えるという、ちょっと簡単には手の出ないシロモノ。

そんな中、マミヤオーピーから発売されたABU-GARCIAブランドのロッドがこれ。

富士工業のTBSハンドルにコルクグリップ、SiCガイドをニューコンセプトガイドで装備、グリップと分割可能なワンピースブランクス。それでいて、お値段は1万円台で購入できるという、ヤングバサーの強い味方であったのだ。

このモデルを気に入った一番の理由は、その当時はちょっと手が出なかった(笑)ノリーズ・ロードランナーと同型のグリップが装着されていること。

TBSハンドルは元々TIFAが自社製品用にと富士工業と共同開発の形でオーダーし、その後一般にも供給されるようになったものらしい。あの、グランドスラムにも採用されていましたものね。

Abu_hornet661l_02
チョイスしたモデルはHC-661L。
6.6フィートのライトアクション ベイトキャスティングモデル。
1/4oz〜3/8ozくらいのテキサスリグや、シャロークランク、小型のバイブレーションプラグに大活躍。

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ガンメタ塗装フレームのSiCガイド

Abu_hornet661l_05

このロッドには、霞ヶ浦に通っていた頃にトコトンお世話になったな。。。
決して、超高性能なロッドではなかったけど、軽くて感度も良好、バランスが良くてオールマイティに使えるので、とりあえずこれ1本持っていけば、どんなシチュエーションでもまず困る事はないという1軍ロッドでした。

最近は、すっかり出番がなくなってしまったけど、思い出の1本であります。

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2007年7月28日 (土)

釧路湿原3割縮小 過去60年開発の土砂堆積

ここでも開発による在来生物への悪影響が問題になっているわけですが、


釧路湿原、60年間で3割縮小 開発の土砂堆積

2007年07月28日12時27分

 日本最大の湿原である北海道東部の釧路湿原が、過去60年で3割縮小していることがわかった。87年の国立公園指定で保護管理が強化されたが、この10年でも1割縮小し、湿地の乾燥化が加速している。国立公園の外側での農地開発などにより、流出した土砂が河川を伝って湿原内に流れ込んでいることが原因とみられるが、抜本的な対策は見つかっていない。

 釧路市北部に広がる釧路湿原はタンチョウなど希少な野鳥や野生生物の生息に重要な湿原として80年にラムサール条約湿地に登録され、87年7月に国立公園に指定された。

Kushiro01 国土交通省によると、戦後の47年の調査では、釧路湿原全体の面積は約2万5000ヘクタールあったが、周辺の農地や宅地の開発で出た土砂が、毛細血管のように湿原を流れる河川を伝って堆積(たいせき)。乾燥化が進んで、04年には約1万8000ヘクタールまで縮小した。これと反比例するように、乾燥化の指標とされるハンノキ林が2000ヘクタールから8000ヘクタールに拡大した。

湿地再生のため釧路川の再蛇行化事業が進む釧路湿原=北海道標茶町で、本社機から

 ラムサール湿地や国立公園になってからも湿原上流部では酪農地の開発が進み、河畔林の伐採などによっていまも土砂の河川流出が続いている。釧路市の担当者は「湿原はスポンジのように栄養を吸収するが、土砂流入で目詰まりを起こすと表面だけが富栄養化し、ハンノキが著しく成長する」という。

 ハンノキが湿原に根を張れば周辺の保湿性が奪われ、乾燥化がさらに進む。湿地が減れば、生息するキタサンショウウオなどの希少生物や、湿原を繁殖場所としているタンチョウがすみかを失っていくことにもなる。

Kushiro02 国交省は現在、主流河川、釧路川周辺の湿地回復を図るため、一度直線化した釧路川を再び蛇行させる事業に取り組んでいる。だが、NPO法人トラストサルン釧路の杉沢拓男事務局長(61)は「上流部の対策を取らねば、湿原破壊はますます進む」と指摘している。

釧路湿原の植生の移り変わり

http://www.asahi.com/national/update/0728/TKY200707280186.html
2007年7月28日 朝日新聞 夕刊掲載

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2007年7月22日 (日)

外来魚=害魚論についての一考察

皇居のお濠の魚を電気ショックで... を書いたのには訳がある。

それは、ここ数年の外来魚を軸としたプロパガンダには目に余るものがあり、問題の本質を正しく捉えていないからである。

近年の環境悪化に対する取り組みと漁業経済へのダメージの責任を問われた行政当局が、自らの利益を優先させた環境開発工事などの活動を正当化し、非難の矛先を避けるために「外来魚が在来種を食う」という構図を誰の目にも分かり易い勧善懲悪の物語に仕立てて強調し、マスコミを通じて浸透させようとしているようにしか見えない。

当局がそのマスコミでの取り上げられ方を気にしていると思われる資料がある。

環境省 - 移入種関係記事数の年次推移
http://www.env.go.jp/council/13wild/y132-01/mat_02_5.pdf

これは一体なにを意図しているのだろうか?
理解に苦しむ資料である。

世間の目が外来魚に向いてくれれば良いと考えている証拠である。
それともマスコミが沢山取り上げているのだからそれは正しいこと、
これが在来種減少の根源なんですよ、とでも言いたいのか?

最近の外来魚(ブラックバス)規制の動きとして大きなものは以下の2つである。

●2002年10月
滋賀県はブラックバスなど外来魚の再放流(リリース)を禁止する県条例を可決し、2003年4月より施行した

 滋賀県 琵琶湖レジャー対策室(外来魚のリリース禁止)
 http://www.pref.shiga.jp/d/leisure/#rule3

●2005年1月
小池環境大臣の一言で、オオクチバスが特定外来魚被害防止法のリスト入りが決定し、6月に正式に法律として施行された
 http://www.env.go.jp/nature/intro/

この事については、詳しく書き出したら本が一冊書けるほどになってしまうのでここでは簡単なまとめに留めておこう。

在来種減少の原因については、外来魚の影響が全くないとは思わないが、根本的な原因ではあり得ないというのが私を含む外来種駆除規制反対派の意見である。

食害以前の問題として、河口堰や護岸工事によって遡上環境や産卵場所が失われ、さらに生活排水などによる水質悪化で魚の住む場所自体が奪われてしまっているという事実がある。

生まれ育つ環境がないのに食害も何もなかろう。
このままでは外来魚がいない環境であったとしても在来種が絶滅してしまうのは時間の問題に違いない。人為的な環境破壊のストップと、それらによって失われてしまった自然環境の回復のための取り組みをなくして回復は実現し得ないものと考えている。

また、外来魚の規制によって子供達が釣りを通じて自然や生命の尊さを学ぶ機会が奪われ、将来に犯罪に結びつくような人格形成の要因になってしまうのではないかという懸念も反対派が強く気にしている点である。(滋賀県の条例などは、事実上釣った魚はその場で殺すことを強制している)

参考になる記事があったのでここに紹介する。

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朝日新聞 2007年05月27日
アユ、多摩川にいらっしゃい
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鮎は産卵のために自分の生まれた河川を遡上する習性を持つ魚だが、その遡上の障害となっていた取水堰を解放し、遡上を促進して在来種である鮎の繁殖を促進させる取り組みが行われているという記事。さらに泳ぐ力が弱いテナガエビやモクズガニ、ハゼなども上れるようになるということも書かれている。

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朝日新聞  be on Sunday 2007年5月27日
マイワシ激減、兆しは19年前
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こちらは日本の近海でマイワシが激減しているという記事だが、その根本的な原因は、一般的に問題視されやすい乱獲によるものではなく、気候変動に伴う水温の上昇が大きな原因であることを示唆する内容になっている。

そして本日、日経新聞に掲載された記事。

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日本経済新聞 2007年7月22日
在来魚と外来魚がすみ分け・琵琶湖周辺  
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在来種と外来種では湖の中での産卵場所や成長してからの生息域が、それぞれの生態に応じた異なる場所になっており、結論付けまでは至っていないものの、環境さえ整えば共存の可能性があることが示唆されている。

記事全文をご覧になりたい方はこちらを。

 

外来魚規制のニュースを見ていると、今後日本の湖に生息している外来魚(特にブラックバス)はことごとく駆除されていく方向にあるように思えてくるが、実は大正14年にブラックバスが初めて放流された箱根の芦ノ湖をはじめ、河口湖や山中湖など、さほど規模の大きくない湖で在来種と外来種が共存している例はいくつもある。

それらの湖では、ブラックバスは魚種認定され、正式な資源として認められている。つまり地元に利益をもたらすものという理解が定着している地域では全く問題になっていないのである。これは、在来種減少の理由が外来魚以外にあるということの一つの証明ではないか。

数年前、茨城県 霞ヶ浦の地元漁師の間で「河口湖がバスフィッシングブームの盛り上がりで放流量を増やすためにブラックバスを高値で買い取っている。」という情報が広まると、それまでは網にかかると目の敵にされ、漁港の周りに捨てられ干涸びていたバスが一転して大切に扱われるようになり、漁師達はバスを狙って捕獲するようになり、結果的に霞ヶ浦ですっかりバスが釣れなくなってしまったという事もあったりした。(もちろん釣れなくなった理由は漁師による捕獲が全てではないと考えている)

また、日光 中禅寺湖でスモールマウスバスの繁殖が確認された時、地元漁協は釣り客誘致の目玉ともなっているブラントラウトの繁殖に影響が出るという理由で駆除を開始したが、ブラウントラウトは元々日本にはいなかった外来種である。獰猛なフィッシュイーターであるブラウントラウトが移入された当時、元々中禅寺湖にいた在来魚が相当影響を受けたであろうことは間違いないと思われる。(もちろんスモールマウスの放流を支持するつもりはない)

深刻に語られる一方でこのような状況があり、在来種の保護に関わる外来魚の是非なんて、じつはその程度のものだったりするのである。また、マイワシの記事にもあるように気候変化による影響だって問題のファクターとして考えられて然るべきことである。

根本的な対策をおざなりにしたまま外来魚の駆除だけで本当に在来種の再繁殖、ひいては自然環境の復元が図れると本気で考えているのなら、当局の問題解決能力は本当にお粗末なレベルであるとしか言いようがないだろう。

話は本題から外れるが、バス害魚論がここまで大きな問題となってしまったことの背景には、釣り人のマナーの悪さがある。早朝からの騒音、私有地へのクルマの乗り入れ、ゴミ捨て、漁業設備の破損などなど、実はこれが一番やっかいだ。自分が釣行する際にはこの点については十二分に注意して行動してするようにしているが、そのような事実があることは認識しているし、釣り人の一人として恥ずべきことであると思っている。

最近は諫早湾の問題が大きくニュースになることもなくなり、人々の記憶の隅に追いやられつつある。年金問題をはじめ、あまりに問題の多い日本の行政。
外来魚を隠れミノに環境破壊の問題をうやむやにしようとするのではなく、そろそろ「これまでの開発工事優先の政策は誤りでした。」と認めることも必要なんじゃないだろうか。



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魚の生育・環境に関する最近の記事3本

日本経済新聞 - NIKKEI NET 2007年7月22日
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20070722STXKG017821072007.html

在来魚と外来魚がすみ分け・琵琶湖周辺 

 琵琶湖とつながる周辺の湖「内湖」で、コイやフナなどの在来魚と、外来魚のオオクチバスやブルーギルの繁殖場所が異なり、すみ分けているとの調査結果を滋賀県琵琶湖環境科学研究センター(大津市)と近畿大が21日までにまとめた。
 湖底の状態などが影響しているとみられ、同センターは「在来魚を守る環境づくりのヒントになる」と話している。
 滋賀県近江八幡市の「西の湖」の湖岸と周辺の湿地、水路計54カ所で稚魚を調べた。外来魚と在来魚が両方生息していたのは6カ所で、ほかは一方だけだった。
  湖岸27地点では、合計で外来魚が約1370匹、在来魚が約70匹だった。湿地や水路の27地点では、在来魚が約410匹に対し、外来魚は1匹だけだっ た。湖岸は、在来魚が卵を産み付けるのに必要なヨシが水中に育っておらず、湖底は砂や小石が多く、外来魚がすり鉢状の穴を掘って卵を産むのに適している。 湿地や水路は、陸地から水中になだらかにヨシ帯が続き、硬い泥地の底が多く外来魚が産卵するのは難しいとみられ、在来魚向けの状態という。
 同センターの西野麻知子琵琶湖環境研究部門長は「今後湖周辺を工事する際には、在来魚が繁殖しやすい状態にするよう考慮すべきだ」と話している。

 同記事掲載:
 中国新聞 http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200707210295.html
 東京新聞 http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2007072101000248.html

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朝日新聞 asahi.com 2007年5月27日
http://www.asahi.com/life/update/0526/TKY200705260169.html

アユ、多摩川にいらっしゃい

 東京湾に注ぐ多摩川をアユなどが自由に上れるようにと、魚にとって最初の障壁となる調布取水堰(ぜき)が今春、大幅に開放されている。今月末までの予定で、川を管理する国土交通省と、堰を管理する東京都水道局の協力で初めて実現した。地元漁協も歓迎している。

 河口から約13キロの位置にある調布取水堰は1936年に完成した。多摩川本流の堰やダムでは最も下流にある。左岸は東京都大田区、右岸は川崎市。コンクリート製の魚道が2カ所あり、毎年、春先には跳びはねて急流を上るアユが見られる。

 「海から上りたての小さなアユはまだ力が弱く、魚道を上るのが難しい」と川崎河川漁業協同組合の総代、山崎充哲さん(48)は語る。一番下流の調布取水堰が「最大の難関」という。

 この取水堰は、工業用水と防潮が目的。今年は装置の点検で取水を中断しており、長期間、堰を開けることが可能になった。川の中ほどにある高さ1. 6メートル、幅7メートルの起伏堰5個を完全に倒し、川幅の約3分の1にあたる35メートルほどを開放。満潮で川の水位も高くなると、上流と下流の水位が そろい、生き物が自由に行き来できる。

 堰では調査員が週3日、川を上る若アユを数えている。開放が始まった4月12日からこれまで推定六十数万匹以上が上った。川崎漁協によると昨年は推定で約127万匹が上ったが、今年はそれ以上になりそうだと期待は大きい。

 ほかにも、ボラやスズキなど海と川を行き来する魚が、調布取水堰から約10キロ上った地点で見つかった。山崎さんは「泳ぐ力が弱いテナガエビやモクズガニ、ハゼなども上れるようになる」。

 多摩川上流では、アユ釣り用に他県産のアユを放流している。近年は海から上る天然アユが増えており、川を上るアユは推定で約100万匹を超す年もある。

(写真)多摩川を遡上(そじょう)するアユ。堰の開放前は跳びはねる光景が見られた=4月10日、川崎市で

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朝日新聞 be on Sunday - asahi.com 2007年5月27日
http://www.be.asahi.com/be_s/s01.html

マイワシ激減、兆しは19年前

 高知・土佐湾。いま、日本の太平洋岸のマイワシの6割以上がここで生まれている。激減したマイワシの「最後の聖域」だ。

 秋から翌夏にかけ、水産総合研究センター中央水産研究所や各県の水産試験場などが船を出す。網で海水をすくい、入った卵を数えて全体量を推定する。

 同研究所高知黒潮研究拠点の石田実・主任研究員がそのデータを分析した。

 豊漁の80年代。鹿児島から千葉沖のどこでも卵がとれた。推定数は年800兆~9000兆粒。土佐湾は25兆~250兆粒で、シェアは数%に過ぎなかった。

 90年代後半、卵をすくえる海域が減った。02~05年は年に33兆~93兆粒。土佐湾は6兆~60兆粒で、結果的にシェアは増えた。

 いったいマイワシに何が起きたのか。

 「あれが兆候でした」。渡邊良朗・東大海洋研究所教授(海洋資源生態学)が振り返るのは88年秋のことだ。北日本沖の太平洋に、その春に生まれたマイワシの群れがみられなかった。

 太平洋沿岸で生まれた卵は、暖流の黒潮に流されながら孵化(ふか)し、房総半島の沖、黒潮に続く黒潮続流に運ばれ、ベーリング海から南下してくる寒流の親潮に向かって北上する。
 それまで年2000億~3000億匹が育って北上したが、88年はその10分の1ほど。89~91年も若い魚が見られない。それでも推定の卵数は年4000兆粒前後。90年は6700兆粒もあった。

 実は、その裏で親魚の高齢化が進んでいた。主に2歳魚から卵を産むが、「産むのが3歳を超える一方、子が少なく後が続かなかった」と中央水産研究所の西田宏・資源動態研究室長。
 乱獲の影響? 「その場合はまず親魚が減っていく」と渡邊さん。

 カツオやマグロに食べられた? サンマなど似た海域の魚も食べられるはずなのに、こちらは豊漁だ。

 安田一郎・東大海洋研究所教授(水産海洋学)は「黒潮続流の水温の影響ではないか」と考えている。

 孵化した魚がその年にどれくらい死んだか(死亡係数)を、海域の1~4月の水温偏差と重ねると、ほぼ一致した。88年は前年より1度ほど上がっていた。21世紀も高温傾向が続く。

 土佐湾も事情は同じはずだが、一本釣りの伝統から、まき網漁が認められていないことで、マイワシが産卵しやすい場所になっているようだ。

 その土佐湾で、1歳魚がもう産卵している。日本海区水産研究所の森本晴之・生物生産研究室長が高知にいた94年に報告した。

 数が減り1匹分のエサが増えたためなどとみられるが、早く仲間を、という自然の仕組みかも知れない。

気候変動で水温上がる

 「朝、イワシ船団の漁が終わると、きんちゃく網漁船が汽笛を鳴らし、船足も重く湾内に入ってくる」

 20世紀の初め、マイワシ漁で栄えたカリフォルニア州のモントレーを、米国の文豪ジョン・スタインベックは「キャナリー・ロウ」(井上謙治訳、大阪教育図書「スタインベック全集」から)で描いた。

 水揚げされた豊富なマイワシは、どんどん缶詰めにされた。だが、やがて漁獲量が減り、第2次世界大戦のころから漁業は廃れていった——。

 マイワシの仲間は世界に6種類知られている。いずれも好不漁の波を繰り返している。日本など東アジア沖のマイワシ、北米カリフォルニア沖のマイワシ、さらには南米チリ・ペルー沖のマイワシは、ほぼ同時期に増減を繰り返してきた。

海挟み同現象

 モントレーの缶詰工場が最盛期だったころ、太平洋の対岸の日本でも、マイワシの大漁に沸いた。

 太平洋という広い海を挟んだ両側。さらに北米と南米で、どうして同時期にマイワシの資源変動が生じるのだろうか。

 「アリューシャン低気圧の変動と関係していると推定される」と安田一郎・東大海洋研究所教授はいう。この低気圧は、北太平洋全域の気候や海洋環境に影響を与えることが、20世紀のデータから明らかになっている。

 ふつうアリューシャン低気圧が強い冬、日本付近は冷たい北西の季節風が強まり、海が冷却される。北米西岸では、暖かい南西からの風が強まって気温が上昇し、海が暖められる。

 太平洋の東西で、アリューシャン低気圧に連動した気候・海洋変動が起き、それがマイワシの増減の周期を合わせる、というのだ。

 「レジームシフト(構造的枠組みの転換)」と呼ばれる考えで、将来の資源変動を予測するのに有効なのではないか、と研究が進められている。

 日本周辺では88年に低水温から高水温へのレジームシフトが起きた、とみられるという。低水温を好むマイワシが減少する一方で、90年ごろから高水温を好むカタクチイワシが増えてきたのがよく説明できる。

 一方で、安田さんは「日本ではマイワシは水温が低いときに増え、カリフォルニアでは暖かいときに増えてきた。それがなぜなのか、まだ分からないことが多い」と話す。

 安田さんは最近、千葉・房総半島沖から日付変更線辺りにかけての黒潮続流域に注目している。

 この海域の水温などの変化が、アリューシャン低気圧や、冷たい気圧の張り出しなどにかかわる北極振動よりも、数年早く生じることを見いだした。

 まだ研究が必要だが、ここでの熱の放出が大気に影響を与えている可能性があるというのだ。

禁魚して増加

 自然変動なら、いずれ増える時が来るに違いない、という見方もできる。日本のマイワシ漁獲量は今、数万トンだが、80年代には400万トンを超えていた。

 もっとも、資源を増やすため、人ができることもあるようだ。
 渡邊良朗・東大海洋研教授によると、東アジア沖のマイワシの増減と歩みを合わせてきたカリフォルニア沖が最近、少し異なってきたという。

 カリフォルニア州は70年代から80年代にかけて、マイワシ漁を原則禁止するなど規制した。そのおかげもあって、90年代から、順調に増えてきたそうだ。

最近のシラスはカタクチ

 マイワシはニシン目ニシン科の魚。卵は直径1.5ミリほど。クロマグロは約1ミリなので、それよりも大きい。生まれて数日で孵化(ふか)し、1~2カ月で2~3センチに成長。1年で15センチ前後に育つ。寿命は7~10年とされている。

 カタクチイワシは同じニシン目だが、カタクチイワシ科に属する。大きさも10センチ程度と、マイワシより小さい。適する水温が6度ほど違うとされ、いまの「高温状態」はカタクチイワシに向いているようだ。

 シラスを食べるとマイワシ資源に打撃では、と心配する向きもあるが、実は近年のシラスはほとんどがカタクチイワシだ。ほかにわずかながらウルメイワシもある。
(文・小西宏、写真・西畑志朗)

(写真)1万5000匹のマイワシとカタクチイワシがなす群れは壮観だ。身近な魚の「自然な姿」は人気だという=大阪市の海遊館で

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2007年5月15日 (火)

皇居お濠の魚を電気ショックで...

ブルーギル放流記念碑 一碧湖 静岡県伊東市 ずいぶん手荒な方法で駆除を行っているようですが・・・

天皇陛下は、自らが日本にお持ちになられた魚が皇居の回りで殺されていく様子をどのようなお気持ちでご覧になっているのでしょうか....?

皮肉なものです...


皇居お濠の外来魚、3万匹を電気ショックで捕獲・駆除
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070514i507.htm

 皇居のお濠(ほり)で、環境省が電気ショックによる外来魚の捕獲作戦を進めている。

 魚を一時的に気絶させ、浮いてくる外来魚だけをすくう。導入した昨年度は一部投網も含め、1年間でブルーギルが3万2746匹、ブラックバス319匹と、過去5年間に迫る数を駆除した。今年度の捕獲は8日から始まった。

 皇居には13の濠があり、うち七つの濠で外来魚の生息が確認されている。環境省は2001年度から、投網や水抜きなどの方法で駆除を開始。5年間にブルーギル4万8629匹、ブラックバス9801匹を駆除した。しかし、網には在来魚もかかり、選別時に網や手で魚の体を傷つけたりする恐れなどがあった。

 環境省は、北海道で04年度以降、南幌町の沼や函館・五稜郭の堀で成果をあげてきた方法を採用。電気ショッカーと呼ばれる装置がボートに積まれ、アメンボの足のように伸びた2本の棒の先端に付けた電極間を電流が流れる。半径約2〜3メートルに浮いてくる外来種を捕獲。ほかの魚は間もなく水中に戻り、魚体への影響はほとんどないという。同様の方法は近年、各地で取り入れられ始めている。

 駆除作戦は昨年度4回計24日間行われ、今年度も15日まで行ったあと、来年2月まで、3回実施する予定。環境省皇居外苑管理事務所は「電気ショックによる駆除は効率的。できるだけ早く外来魚を根絶させたい」としている。

写真:電気ショッカーを積み込んだボートに乗り込み、ブルーギルをすくう関係者

(2007年5月14日15時7分  読売新聞)


追記:関連記事アップしました。外来魚=害魚論についての一考察 (2007/7/22)


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2007年5月10日 (木)

今江克隆氏 続報

今江氏のブログが更新されました。
手術無事成功ということでひとまず安心。

 今日のイマカツ(ご報告)2007.5.9.

手術前の元気そうな姿も。

 只今、入院中の巻 2007.5.6.

ただ、急にまたアクティブに活動して身体に負担をかけることだけには気をつけてほしいもの・・・


がんばれイマカツ!

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2007年5月 3日 (木)

今江克隆氏 小休止宣言

バスプロ今江克隆氏が公式サイトで衝撃の発言。。。

Spin-Move SHADちょっと小休止宣言の巻
2007.4.22.

日本のバストーナメントの創成期からずっと第一線で活躍してきたトップトーナメンター、そしてタックル開発者としても数々の実績を残してきた第一人者の突然の告白、しかもエディと同じくガンとは・・・

自身のサイトでも書かれていますが、ここ数年のバスフィッシング界では再放流禁止、外来生物法の施行など、色々あっただけに負担も大きかったであろうことは想像に難くないないところ。そんな状況だからこそトッププロとしての活躍を続けてほしいものですが、

今は早期のご回復を願うのみです。

幸い転移は見られないそうですし、有名人でも前述のエディ ヴァン ヘイレン、ツールドフランスのランス アームストロングのように全快した例も少なくなくないので必ずや!

 皆様、ご心配かけてスンませんの巻 2007.4.29.

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